Voyage2013 フランス編

2013.11.02 Barcelona→Cerbere

     

なんとBarcelonaからCerbereまでの列車は2等だけどコンパートメントタイプで8人分を一人占め。なおかつ、車窓からはこの日の出。極楽、極楽

めちゃ解りにくい写真で恐縮ですが、席の番号が「83」の横が「87」になっているのです。それって、連続して買いたい時はどうするのかなあって、悩みました。因みに私は貸切だったので、1番に購入。そして、「81」でした
 Cerbereの駅。Perpignonに住む小学校時代の友人が迎えに来てくれていた。始めての一人旅行の不安な気持ちが彼女の顔みて吹っ飛びました

2013.11.02 Collioure

    
 


 

コリウールは避暑地らしくゆったりのした時間が流れている海辺の町。ランチはLa baletteという一つ星のレストランで。
 
左の写真が私の服装、季節は11月だけど、海ではヨットと浮かべて泳いでいる人がいる。やっぱり西洋人は強い。

お家の雨どい。焼き物で先端は厄除けの鬼のよう。色が日本の織部の緑に凄く似ている。綺麗し、この遊び心見習いたい。
2013.11.03 Carcassonne     
 
カルカッソンヌの城壁はヨーロッパ最大との事確かに迫力はある。この頑強な石の塊に守られてこの町の中だけで一生を過ごすのも、これまた人生!
     
日本のお寺や、神社にもある守り神。民族文化の違いをことさら取り上げられるけど、基本は一緒だと私は常々思います。
        Toulouse   ツゥールーズが大きな町のようで、ただアルビへのバスの為に立ち寄っただけだったのですが、駅舎は赴きのある建物でした。だけど、その模様のせいか、暗いイメージ。バスターミナルもゴミが結構落ちていて、人も不気味な感じがしました。ここからは完全な一人旅になるので、不安だったせいかもしれません。 
 Albi  
 
Musee Toulouse−Lautrec
アルビの町並み
夕方で明日から仕事だったからかもしれないけど、町はひっそりとしていて、殆ど観光客もいない。食事の出来る所で開いていたのはカフェ1軒だけ一人旅初日の夕食はクレープとタルトタタン
 
この絵を見たくてはるばるアルビまでやってきた私の気持ちを十分に満たしてくれる絵でした。事故で子供が障害児になってしまった現実をじっと受け入れる賢明な母。その母が賢明であればあるほど、重くロートレックにはのしかかったのだと思う。だけど、その辛さは絵を極上のものに仕上げている。なんとも不条理な世界ではある。
 
   部屋代は日本円で¥8,000バスタブなしのシンプルな部屋。狭いけどなかなか素敵。立地は抜群

      
多分日本だったら倉庫にしまうと思うけど、部屋のロッカーに扇風機があった。この辺がヨーロッパ。


この小さなホテルにも中庭があった。素敵です。
2013.11.04 Nimes  
   ホテルはImperatorで一応4星。この時期なので安くも無いけど高くもない。部屋も快適。エレベーターはクラッシクな自分で開けるタイプ。モダトの融合は今回の旅行で頻繁に出会った組み合わせ。ただ、問題なのは、グラナダのホテルでもそうだったけど、スタッフが若くて対応が丁寧じゃない。お客様の為にという気持ちが見受けられない。若者の雇用は促進したいけど、若者には教育が必要だ。
 

Castellum(古代集水場)



 翌日訪問するポン・デュ:ガールからの水の終点。今は水も流れていないけど、延々50キロを流れて来た水はどんな味がしたのだろう。蛇口をひねると出てくる水を当然違うだろう。味わってみたかった。

Maison Carree(メゾン・カレ)

   本当に保存状態がいい。中で中国からの旅行者と3D映画を見た。なかなの迫力だった。
 

町には現代美術が溢れている。メゾン・カレの横にはカレ・ダールという現代美術館がある。ローマのように古代の遺産だけでは集客に劣ると思ったのか、未来に向けて布石なのか?チャレンジは応援したいものだ。

 古代闘技場       
競技場でのイベントはさぞかし民衆の不満を発散した事だろう。現代のオリンピックのように。特定秘密保護法案が国会を通過したその日にサッカーワールドカップの組み合わせが決まった。時代は変わっても為政者することは同じだなあって、思わずにはいられない。賢明な民になりたいものだ。
 2013.11.05  Pont du Gard  

 

ニームからのバスで45分でやっとたどり着いた。観光シーズンではないので、降りたのは数人。そして、ポン・デュ・ガールに向ったのはスペイン語しか解らない女性と二人だけ。この看板を見つけるまで、不安が一杯。

 


水を運ぶだけ為にこの建造物。水の大事さが改めて感じた。
 

近くで見ると大迫力

流石に橋の近くにはアメリカ人のツアーの人や子供たちがいた。本当に来て良かったです



矢印の下の文字のところがポン・デュ・ガールで、左上がユゼフ、そして、左下がニーム。ユゼフから始まって、ポン・デュ・ガールを経由して、ニームまで、約50キロ。ガルドン川を横切る為に造られたこの水道橋。諸説あるとの事だけど、1世紀中頃が有力との事。2000年近く残る建造物。我々の時代にもそんな物を造れたらいいなあって!

このバス停で1時間以上待った。ポン・デュ・ガールは5時終わりだし、行く所もなく仕方なし。回りには誰もいない。もし、来なかったらどうしようとか後ろ向きな事ばかりが頭をよぎた。そんな時に聞いたJAZZスタンダードにどれだけ勇気付けられたか知れない。
到着時間の少し前にスペインのギャルがやって来て、同じAvignon行きと知り、やれやれ!
2013.11.06 Avignon   
           Palais des Papes(法王庁宮殿)

 中には現代美術がここでも展示されていた。このベッドも最初は年代ものかと思って見ていたのですが、モダンアートだと気が付きました。モダンアートは難しい!


ボッティチェルリの聖母子
ボッティチェルリと直ぐにわかる清楚な綺麗な絵だ。フランスで会えるなんて幸せ。
 
      Pont St-Benezet (サン・ベネゼ橋)
 所謂アヴィニョンの橋だ。途中までしかない橋を修理もしないで保存しているのは歌のせいかもしれない。見た目は新しい感じがしました。



中学校の前、この風景もあちこちで見かけた。学校はぎりぎりにならないと門が開かないみたいで門の前に学生の塊が出来ている。先生の組合は強そうだから、日本みたいに早くから学生を校内に入れないのだろう。日本ならPTAは黙っていないだろうけど、フランスは親も又同じ権利を有した労働者って所なんだろう!

 
 
法王庁で見かけた小学生の遠足。どこの国も子供たちがはぐれない様に赤い帽子。フランスには似つかないと思ったけど、仕方ないかも!他でもいろんな名所で子供たちの集団にあった。基本的な教育は万国共通。

 

なんと町でカラオケやを発見!残念ながら、潰れていた。フランスには馴染まないのかも?
2013.11.07 Lourmarin  ルールマランはフランスの美しい村にも選ばれています。  
         
 
今回の旅行の最重要目的地のルールマランに夕方着いた。聞いていたけど、誰も歩いていない。静かだホテルも静かで明日はカミュの生誕100年の記念日なのに私以外には誰も泊まっていないのかと思わせるほどだ。  流石に、朝、村に出るとカミュ生誕100年の記念の横断幕が上がっていた。だけど、誰もいないのは変わりなし。村のはずれにある花やさんで、お墓に供える白い百合の花を買った。女主人に日本からって伝えたら、日本人や中国人はカミュが好きだと言われた。  お墓までの道のり、相変らず誰にも会わない。別荘が多いとの事。大きな原っぱの真ん中に「私有地」だって、看板があった。確かに知らなければ、入ってピクニックでもしてしまいそうな、のどか風景。 

カミュのお墓

この2013年11月7日にお墓に来る事。生誕100年目であり、私の誕生日でもあるのです

   カミュのお墓参りは大学で卒論のテーマをカミュにしてからの夢、目標でした。当時はサルトルがフランス現代文学の一番華やか位置を占めていたと思います。カミュの発言は学生運動が盛り上がっていた時代にはちょっと生ぬるいと思われたのだと思います。Je ne connais qu'un seul devoir,c'est celui d'aimer.(私は唯一の義務しか知らない、それは愛することだ。)なんて、ちょっとキザ過ぎるとあの当時は思われた事は想像出来ます。ただ、 猪木武徳氏の経済学の本でも結局、限界を乗り越えるのは倫理、つまり愛と私は読みました。
 東日本大震災の後、ペストが見直されているとの事ですが、今のこの時代の閉塞感を「愛」が突破してくれる事を祈っているのです、真面目に。
   
 
ルールマラン城   音楽の間には何故か蛇三味線があった。そして、このお城での開催された会でのアンドレ・マルローとカミュの写真も飾られていた。私以外の訪問客はいなくひっそりとした空間を人占めしていた。お城の前の大きな原っぱにはロバがのんびりと草を食べている。カミュがここで余生を過ごしたかった理由が解った気がする。天気もよかったせいか、なんの不平もない時間がそこにはあった。  

 カミュがよく訪れたカフェ。残念ながらすっかり変わってしまっているらしい。


 
ルールマランの本屋さんには流石に、カミュの本が沢山あった。そんな中、ル・モンドとル・ポイワンの特集号を買ってみた。カミュはハンサムだ。
 
因みに、プルーストの「スワン家の方へ」も書かれて、今年は100年。いろんな100年の年だった。日本では織田作之助の生誕100年でもあった。
2013.11.08 Aix en Provence 

 

 
 
 エクス・アン・プロバンスはやっぱりセザンヌに触れたかった。アトリエはひっそりと緑に囲まれた丘の中腹にあった。かつてはここから、サント・ヴィクトワール山は見えたのだろう。そして、一番右の写真の中央に灰色の岩の塊のような山がサント・ヴィクトワール山だ。ホテルの屋上から見ることが出来て、本当に感激した。セザンヌが何枚も何枚も書きたくなった気持ちが理解出来た。
 セザンヌの静物の絵から、さらっと見ただけではその先見性を知ることは出来ないけど、それを知った時、何事も第一歩を踏み出す人の偉大さが解った。後にキュビズムでもてはやされるピカソの家のこの近くにあったとの事。
 今はそれを突き破る人たちによって出来ているんだなあって、改めて思った。 

 
Musee Atelier de Paul Cezanne
 
Mont Ste-Victoire
   そして、エクスにはカミュの学会の支部があり、100周年の記念イベントが開催されていた。
 展示会に入ると、高校生達の集団と一緒になった。その集団に丁寧な説明をされていた大柄の女性。彼女はなんとカミュ学会の会長との事だった。時々解るフランス語を聞きながら、私もゆっくり見学できた。
 見学が終わった後、女性にご挨拶をした所、日本の会長も参加される講演会があると誘われたが、すっかり一人旅に疲れた私はその夜はホテルで大人しくしていた。
 ところが、翌朝、日本の会長の教授が同じホテルに泊まっておられて、間違って押されたエレベーターの ボタンのお陰で、お会い出来ました。
 偶然が、偶然を生み、貴重な経験が出来た訳です。
 
 
土曜日は町にいろんなマルシェが開かれる。なかなか楽しい。私もヤギのチーズとハーブ一杯のサラミを買った。ただ、古着やさんはただ、汚いだけだった。いつもがっかりする。
  
マルシェで見つけた野菜達。左は巨大なセロリのよう。右には白いニンジンのようなものがあった。芽キャベツも元気がよさそうだった。
 そして、ジャズ!やっぱりジャズだよね。写真を撮りこそねたけれど、ビッグバンドも路上で演奏していた。ジャスのよさは万国共通。
 
開店準備中のお店。ミフィーに並んで、こけし。浮世絵が印象派に影響を与えたように、可愛いも大きな波になっているようだ。
 
フランスのテレビで以前見て、知っていた古くなった皮膚を魚に食べさせるお店、発見!左の青い水の中にその魚はいる。左は割引券。フランス女性の美への欲求はかなり強いようだ。ちょっと気持ちいいかも知れけど、抵抗もある。
 
大きな看板のおすしの広告。まるでマカロンのようだ。ちょっと食べたいとは思えない。

 7日に最後のホテルにHotel du Globeにチェックインするとお部屋に、フランスいる友人から誕生日プレゼントが届いていました。感激!63回目の誕生日がより、記憶に残る日になりました。
  南フランスの総括 
 今回の目的、1、カミュのお墓参り 2、ロートレックの母親の絵を見る 3、サント・ヴィクトワール山をみる、全てなんとか達成出来た。一人旅で不安も一杯だったけど、なんとか無事に終了。途中、カバンを忘れたり、トランクの鍵を落としそうになったり、危機はなんどかありましたが、神様?に救われたのか、大事に至らず。終わってみれば、充実した旅でした。
 町は小さい町 ルールマランやアルビ以外は綺麗とは言えない状態でした。とにかく落書きのない壁を見つけることは出来ないほど、落書きだらけ、失業率の高さがやはり町の汚さに比例しているようです。昔、ソ連が崩壊後に行ったブダペストが、先進国の町に比べて薄汚れているように感じたのを記憶しているのですが、経済的豊かが町並みに現れるのは仕方が無いことのようです。
 多くの住民は郊外に住んでいるようで、夕方になると渋滞が起こり、町の様子が変わります。現代の便利な生活を享受するのを否定は誰も否定できないのだなあって、思った。
 勿論、電柱もないし、コンビニもない。ただ、町にはファーストファッションのお店ばかりで、その点ではがっかり。因みに洋服は一切買わなかった。 つまり、先進国はみな同じ。テレビを点ければダイエット食品のコマーシャルが流れ、町に目をやればジョギングをする人を必ず発見する。

 そして、今回の訪問が南フランスだったからだとは思うのですが、ローマ時代の遺跡が多く、EUが出来る基礎がここにあるよう思いました